ひらの税理士事務所

森信三を師と仰ぐひとりが、自書の中で森信三との出会いを書いた一文がある。

「その人はいわれた。人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に・・・。その人こそ私にとっては森信三師であった。その時私は三十歳。(中略)
そんな人に、教師になって五年目、まさに教育的模索の真っ只中、教育とは流水に文字を書くようなものだと、その覚悟を教えてくれた人。よくもこんな理想の師に出会えたものだ。青春時代以来の思想的混迷に決着をつけ、実践の決意を促し、さらなる探求を駆り立てる人。(中略)私はその人にこの世でついに相見えたのだった。まさに百万の金鉱脈を発見した喜び。これから生涯掘り尽くしても掘り尽くせない鉱脈を掘り当てた喜びよ。これを出会いの絶景と讃えずして何といおう」
中略しているが、師との出会いを人生の宝と歓喜していることが伝わってくる。

「大切なのは自分自身を燃やすこと、己の心に火を点ずること。自分の外のことをいくら調べまわってもそれだけでは意味はない」と、師に言われたという。
そして、「まこと私は出会ったのだ。生の点火者に、炎そのものに。そして私は知ったのだ。出会いとは点火であり、出会いが一瞬早すぎず遅すぎもしないというのは、その点火の条件が揃った時に出会いが起こり、点火が起こる」とその人は記している。

春といえば入学・入社の季節、新しい人との出会いに緊張と期待が交錯する時期である。
そして、これからも、幾多の出会いがある。

過去の人との出会いを振り返り、「なぜ、あの人の言うことをもっとたくさん聞いておかなかったのだろう」と、己の不勉強、思慮のなさが、機を逸してしまったことを悔やむことがある。
“チャンスの神様には前髪しかない” ギリシャ神話に由来する、チャンスが来た際に躊躇せず掴み取らなければ、通り過ぎてからではもう遅いという意味の諺もある。

志を達成しようとする日々の苦闘がなければ、点火の条件が揃った時の出会いが起こらないということであろう。


(補足)
「全一学」という、要約すると“宇宙の哲理と人間の生き方を探求する学問”を提唱した森信三は、これらの思想をもとに全国各地で講演を行なうとともに自ら実践を重ね、日本民族再生に大きく働きかけた。
「信三」は、戸籍上「のぶぞう」と読み、「しんぞう」は戦後帰国した際に他人が読みやすいという理由から名乗った通称である。
明治29年愛知県生まれ。
大正 9年広島高等師範学校入学。恩師福島政雄、西晋一郎先生の教えを受け。
大正12年京都大学哲学科入学。 主任教授西田幾多郎先生の教えを受け大学院卒業。
昭和元年大阪天王寺師範選任講師として勤務、名著『修身教授録』完成。
昭和14年旧満州国の建国大学教授に就任。
昭和28年神戸大学教授に就任。昭和35年退官。
昭和40年神戸海星女子学院大学教授就任。
昭和50年「実践人の家」を設立。
平成 4年11月21日逝去 享年97歳。